京都 建仁寺に行ってきた
せわしない平日がひと段落ついたとある休日、京都祇園四条駅から程近い距離にある建仁寺に出掛けた。今日はそんな話。
建仁寺についての説明は到底僕なんぞが出来る話ではないのでここでは割愛するが、そういう知識が無くてもこのお寺は観て楽しめるポイントが沢山あり、面積が広い事も相まって、数時間居ても中々飽きない。
内部を拝観するには500円の入場料が必要だけど、敷地内をぼんやり散歩するだけでも十分日々のストレスを癒してくれる。
こういう所は時間の流れがゆったりしている気がして本当にリラックス出来ますねぇ。
が、僕はわざわざ境内をお散歩する為に大阪から京都に来た訳ではない。
観たい物が中にあるので当然500円を支払い中へ。因みにこの日は日曜の昼過ぎという事もあってか、受付は外とは打って変わって結構混んでいたので、もう少し早く来れば良かったなぁと反省。順番抜かしされたのもあって、早くもリラックスモードは解けつつある。
で、中に入ると寺内を散策する人や、展示物を熱心に眺める人、縁側に座って物想いにふける人、真剣に写経する人、海外から来て日本のお寺に興味深々な人、SNSの為なのか何なのか常に携帯やデジカメを覗き込み、チョロチョロ動き回って自撮りを繰り返すasshole供。何でお前らのシャッター切るタイミングを見計らって動かないといけないんだ?え?
と、楽しみ方は人それぞれで、皆思い思いの時間を過ごしている。
見せたい写真はもっと沢山あるんだけど、キリがないのでこれ位で。
偉そうに言ってたクセに自分もめっちゃ写真撮ってるっていう。まぁいいか。
さて長過ぎる前置きはこの辺にして、僕の今日のお目当てはこれ。
これを観に来たんです。
江戸時代初期の画家である俵屋宗達の代表傑作にして国宝。
しかし、この建仁寺にあるのはキャノンの高精度スキャンによるレプリカで何故か寺内に二つ存在する。一つは入口付近に剥き出しで。もう一つは奥に進んだ部屋のガラスケースに。上の写真は手前の方で、何かいい感じにライティングされている。対して奥の方はガラスケースに入ってはいるものの、展示の仕方がどこか少し雑。知らない人からすればどちらかが本物?と思ってしまいがちだけど、両方レプリカという謎のひっかけ。
まぁ国宝を常に一般に晒すなんて普通考えにくいので、大半の人はまず気付かれるかと。
本物は現在、京都国立博物館に寄託されており、特別な公開イベントがない限り見る事は不可能。(しかしこのイベント、実はついこの間までやっていたらしく、現在は終了している。やっちまった。)
話を戻します。
風神雷神と聞いたらまずこの絵を思い浮かべる人がほとんどだろうと思う。
天災が科学的に証明出来なかった時代に、偶像化された風の神と雷の神という分かりやすいキャラクター。
宗達が描いた風神雷神、元は北野天神縁起絵巻や、三十三間堂の風神雷神像をモデルにしたと言われており、更にそのルーツは古代インドにまで遡るそう。
要は宗達が描くよりもっと以前から風神雷神は存在したのに、今日に至るまで風神雷神といえばコレ!というイメージを確固たるものにした宗達の素晴らしさは言うまでもない。
後に琳派と呼ばれる尾形光琳、酒井抱一、鈴木其一の順に描き継がれており、描く人や時代によって徐々に変化していく流れも面白い。
あえて絵の一部が見切れる位、屏風の両端ギリギリに描かれた構図やそれによって生まれる中央の金地の余白、両神の色使いや動き、独特の濃淡があるたらし込みと呼ばれる技法で描かれた雲が風神雷神の存在感を圧倒的な物にしている。
そしてこの屏風、一般的に両神は下界を見下ろしていると言われているが、とある考察サイトによると、屏風を中央から見ると風神は左手の雷神の方に目線が向いている様に見え、(というか明らかに左を見ている)そして雷神の方を見るとその目線は少し手前のこちらを見ている様な構図になる。それによって生まれる視線のトライアングルが中央の余白を更に強調する。両神が向ける目線にはそういうギミックがあり、そしてそこには描かれていない筈の、宗達がモデルにしたであろう三十三間堂の風神雷神像の奥に位置する千手観音像の存在を表し、余白の金地はその後光を表現しているのではという考察もあり、とても興味深い。描かずして描いていると。
そもそもそれまでメジャー所では無かった風神雷神(三十三間堂でも明らかに脇役)を敢えてメインに持ってくるあたり、やはりそういう意図があったのかな。
とにかく調べていくとキリが無いけど、何やかんやそういう事を考えさせてくれるのもこういう絵の楽しみ方なのかも。
以上、“建仁寺に行ってきた” 改め、
“風神雷神について調べてみた” でした。
【次回予告】
結局そういう事です。